岡村愛一公開講座
第二部 和歌

和歌について 序

歴史は語りかける短歌の世界 和歌(短歌)は、万葉集の世界から今日まで、日本人が千四百年余にわたって詠み継ぎ培ってきた文化ではないか。この和歌の歴史は、日本人の古代からのこころの叫びとも思われるものであり、それぞれの時代を生き抜き語り継がれて来たものと考えます。また、それらは詠む者にとっては深い感動を与えるもので、師岡村が我々にお伝えされたかったことではないかと改めて感じます。

最後の頁に綴られた「浜木綿」の稿は、まだ私が望星学塾に先生と一緒に生活していた大学3年生の頃のもので、私も浜木綿を拝見しました。その情景は今もありありと甦るもので、それは先生の詠まれた和歌によってで、今更ながら「和歌」のその力に驚かされます。先生は、歌の作り方を含めて、たくさんの名歌を厳選されて我々に紹介して下さっています。皆さんにも是非御目通しいただき鑑賞して下されば幸いです。

第一章 和歌創作・鑑賞・作り方

和歌は、
 「言葉を出発点として人生に生きる道を求める」
 「言葉は自己の生命そのものであると自覚し素直な感動を正確に表現する」
とも紹介されています。他に、その意義、鑑賞の仕方、作り方なども指導していただきました。小学生の時より和歌に親しんでこられた、師、岡村の歌人としての歩を辿りながらの和歌の世界、その見方考え方にふれて下さい。

「和歌の作り方」では、良寛禅師や正岡子規を事例に解説されています。これらは和歌を志す者や日本文化を学ぶ者にとって欠かせない点ではないかと思います。併せて目を通していただければと思います。

第二章 憶母歌抄・名もなき民のうた

憶母歌の抄では、天皇歌集「みやまきりしま」の最初の和歌が紹介されています。戦後のすさんだ世相の中にあって、昭和天皇が、母貞明皇后のことを詠まれた歌で、昭和26年の作と伝えられます。終戦後の苦境の中にあった時、浅間山麓、軽井沢にいらっしゃった母貞明皇后は、そこから野の花「かた白草」(はんげしやう)を贈られてた由です。陛下が戦後処理で多忙の中にあった時、母である貞明皇后から贈り物「かた白草」は、何物にも代えがたい心温まる品であったろうと推察されます。15歳にして大正天皇に嫁がれ、翌明治34年4月29日裕仁天皇誕生という経過の中の親子関係にあって、貞明皇后も陛下への思いはひとしおのものがあったでしょう。

他の識者の母に寄せられた和歌も心に響くもので、母を憶う日本人の心を我々に示して下さったものであると思います。各々声に出して読み、詠者の気持ちを偲び、味わいたいものです。

「名もなき民のうた」では、日露戦争中の従軍兵士のうた、山桜集にはじまります。日本が西欧との最初の戦の中に詠まれた和歌です。当時の兵士の憶いは、本当につらい負けられない戦で、自己との戦いであったことも感じられます。そうした中に出征していかなければならない兵士の気持ちはいかばかりであったでしょうか。我々が経験できない処ですが、兵士の心もち、家族の思いを御偲びしたいです。

他に岡田質や石川武美、蓮月尼などの和歌も紹介されています。これらは岡村師の和歌に寄せる意の深さを感じられるものではないかと思います。

第三章 子規歌集

慶応3年四国松山に生まれた正岡子規は、明治時代今の東京大学に進み、中途退学、日本新聞の記者となり、日清戦争の従軍記者としての経験を持つ人です。従軍の途中病に倒れ喀血し、その後不治の病の中、病と闘いながら近代短歌の世界を形成したとも伝えられています。

明治の文豪夏目漱石との交流もあり、他の有識者との短歌研究会では、万葉集、源実朝など日本の短歌の歴史を辿りながら一つの文学の分野を開拓しました。理屈でない現実に目を向けながらの和歌の世界は、日本人の心を後世に残るものとしたとも言えましょう。また源実朝を蘇らせた人といえるかもしれません。ここでは、彼の和歌と識者の意見に耳を傾け、自然と人生のあり方を考えたいです。

第四章 金槐和歌集

源実朝は今から約九百年前、鎌倉時代3代将軍の地位でした。が、28歳にして鶴岡八幡宮参拝のおり、兄頼家の子公暁(くぎょう)に殺されました。若くして世を去った実朝ですが、和歌の世界では自然の壮大さを詠んだ歌や心やさしい愛情こもった歌を後世に遺しています。それらは岩波文庫「金槐和歌集」に詳しいです。箱根スカイライン途中、十国峠にも歌碑が残されております。実朝の歌では、若き右大臣としての心意気や正岡子規の実朝論などを味わいたいものです。

第五章 天降言

田安宗武は江戸時代8代将軍徳川吉宗の次男として誕生し、息子に寛政の改革を推進した松平定信がいます。文武に長け、徳川幕府の重鎮にあって、荷田春満、賀茂真淵の指導を受け、和歌の道にも精進したようです。「自然をありのままに見、すなおな気持ちで歌に詠んだ」と正岡子規は、日本の代表的歌人に挙げています。江戸という時代を思い描きながら、彼の歌を読んでみられたら如何でしょうか。

第六章 会津八一の歌

奈良の古寺を訪ね、諸仏への愛情と学問への情熱に持って和歌を詠んだ会津八一、南京(なんきょう)新唱は彼の代表的な歌集です。八一は、早稲田大学で東洋美術史を講じ、武蔵野に住まい、自然と共に生活し和歌を詠んでいたようです。「村荘雑事」は、会津八一の武蔵野の自然そのものを歌に詠んだもので、今の東京では考えられない風景ですが、心惹かれるうたです。学規には、
 深くこの生を愛すべし
 かへりみて己を知るべし
 学芸を以て性を養ふべし
 日々新面目あるべし
の4箇条があります。会津八一の仏像を見る眼や自然の情景を詠んだ歌は、奈良の諸物の姿・自然であり、そこに寄せる八一の意いが伝わってきます。

第七章 万葉集

古代から読み継がれてきた万葉集、歌意について一度読んだだけでは、意味の取れない歌も多いですが、解説に触れてみるとなるほどと納得され、詠者の気持ちが伝わってきます。

和歌は、すなおな気持ちで理屈を詠むなと子規は指摘してますが、
  しるしなきものをおもはず一杯(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし
などは今と変わらぬと親しみの感じられる歌です。また、
  しろがねもくがねもたまもなににせむまされるたからこにしかめやも
は、時代を越えて我々の祖先が大切にしてきたものをすなおに表現しています。万葉集は、日本人の心の声を知るべき書とも評されていますが、和歌の世界・心のふるさとを鑑賞いただければと願っています。

PDF 万葉集

第八章 終わりに

2月のある日、まだ外は寒い日が続いていた中、思いもかけず花開いた浜木綿、師岡村の感動が伝わってくる解説や歌の数々です。学生と共に生活された望星学塾での岡村の1頁ですが、その意に応えてくれた浜木綿の花を忘れることは出来ません。和歌の最後の頁、味わっていただけたらと思います。


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